Artmingleでは、現代社会におけるさまざまなジェンダー表象について考え、対話する場が必要と考え、誰でも参加できるCafe形式のイベントを実施しました。
イベント名:Future Feminsm Cafe♯1
日時:2018年10月21日(日)16:00~18:00
会場:Bukatsudo
Artmingleは2016年に立ち上がった、キュレーションやプロデュースを手がけ、アートで社会にアクションを起こすことを目指すコレクティブです。
特に、2018年からスタートFuture Feminism Cafeでは、フェミニズムやジェンダーをテーマにしたキュレーションや作品制作を実践するには、どのような基礎知識やリサーチが必要か自体をディスカッションしながら、近い関心を持った人々とネットワークを築くことを目指し、情報交換の場を設けました。
#1:キックオフイベント:下記をテーマにArtmingleの自己紹介を目的としたイベントを実施しました。
男女ともに、ジェンダーにとらわれると、生きづらさを感じるのではないでしょうか。特に日本では、ようやくその呪縛から自由になろうという意識が育ってきた段階で、様々な表現者がその課題にとりくみつつあると感じられます。
一方で、国際的なシーンでは、様々な社会課題の原因になるジェンダー、人種、セクシュアリティなどの人権問題に配慮するのは常識となっています。
2020年頃までに、海外と日本のアーティストの協同企画を実施するために、国内外のフェミニズムやジェンダー関連企画などに関する基礎調査を実施し、それを開いていきます。
また、課題意識を共有するアーティスト、クリエイターと情報を共有する場を定期的に設けていきます。
その最初の機会として、現状のリサーチ結果を共有し、交流する場を設けます。ジェンダーやフェミニズムに関心のある方はどなたでもご参加いただけます。
レクチャー形式ではなく、少人数で自由に対話できる場を設けます。
話題:
①美術史におけるフェミニズムをふりかえる:日本近現代のフェミニズム展
②近年の事例報告:イメージ&ジェンダー研究会、KYOTO EXPERIMENT2018、光州ビエンナーレ2018」
この回にふれたトピックについて簡単に紹介します。
②視察報告
イメージ&ジェンダー研究会訪問については下記記事を参考にしてください。
▼光州ビエンナーレ2018:Imagined Borders
ムン・ジェイン大統領就任後、南北融和ムードが生まれつつある韓国でのビエンナーレは、様々な韓国の政治的問題、またその発端となった様々な韓国の近代化において生じた問題に焦点をあてていました。なかでも、光州ビエンナーレも釜山ビエンナーレも南北の分断をテーマにしたキュレーションが行われていました。
特に、光州は韓国の民主主義運動の記念の地でもあります。1980年5月18日から27日に起きた民衆蜂起は韓国の民主化運動のなかで重要な役割を担ったとされています。また、タイムリーにビエンナーレ開催前後には、映画「タクシー運転手」が公開され、日本でも異例のヒットを飛ばすなど、昨今の日本でも関心が高いテーマでもありました。ビエンナーレ自体は、複数のキュレーターによるキュレーションによって、構成されており、中にはジェンダーをテーマにしたセクションもありました。
特に、中でも目を引いたのは日本人アーティスト壷井明によるインスタレーション。彼の作品は戦時中のさまざまな国で従軍慰安婦となった女性たちの証言を集めたインスタレーション。
各国の衣装を身に着けた木の人形のパネルに、日本語と英語でその証言がはられていました。圧倒的に大きなスペースを割り当てられ、ビエンナーレの中でも重要な作品であったことが伺えました。ここからは熊谷の個人的な印象ですが、さまざまな光州ビエンナーレのレビューがSNSで散見されましたが、この作品について言及していた人はあまりいなかったようです。
表現としては、慰安婦問題の取り上げ方がとてもストレートすぎるくらいでもあり、評価が難しかったのかもしれません。また、内容がとても政治的だったから意図的にふれるのを避けられたのかもしれません。こうした作品が日本のアートシーンでは受容されづらいことは想像に難くありませんが、一方でその受容や紹介のされかたに潜むバイアスを意識することは重要だと考えさせてくれるものでもあったのではないでしょうか。
▼KYOTO EXPERIMENT2018
KYOTO EXPERIMENT2018は女性の表現者をとりあげ、フェミニズムをテーマに様々なパフォーミングアーティストを招聘していました。日本ではまだまだ、こうした試みが少ないのでとても画期的だと感じました。視察できた作品はどれもとてもすばらしかった。特に、観劇後にそのパフォーマンスので用いられた手法について掘り下げるトークセッション「わざにまつわるダイアローグ」にも参加したが、そこで改めて招聘作家のジェンダーに関する意識について知ることができたのが興味深かったのです。
・ウースターグループ『タウンホール事件』
ウースターグループはNYの実験演劇グループ。今回は、第二派フェミニズム真っ最中、1971年に作家ノーマン・メイラーによる『性の囚人』発刊後に行われた伝説のトークイベントを再現した演劇作品を再演していました。
観劇後「わざにまつわるダイアローグ」というトークにも参加し、面白い話も聞くことができました。彼らのポリシーは「映像などのテクノロジーを駆使して、舞台を作っているが、そのプロセスはヒエラルキーがない対話によります。自分たちはフェミニズムやジェンダーを扱う表現者なので、ジェンダーの非対称性などを超えて、そもそも対話すること自体を当たり前に制作をしています。」とのことだった。テーマとしてジェンダーを取り上げるだけではなく、その制作環境やプロセスまでがフェミニズム的であることに驚きました。
「ウースターグループは新しい技術を誇示するためではなく、あくまでも表現と一体になったものとして扱います。そしてテクニシャン(音声、映像等)も制作の最初から演者演出家と同列に表現に関わり、役割も固定的ではないのです。」
誰もが対等なのはわかったので、さらにウースターグループの制作姿勢について聞きたくなり、とてもフェミニズム的テーマがある作品制作の手法に影響したかと質問しました。すると「そもそも自分たちはフェミニストだけど意識していないし、ポストフェミニズムの時代でもあるので、カンパニー内でジェンダーを解体しているからね。」とのことでした。この一貫した姿勢になんてすごい!と舌を巻いたのでした。もちろんこの制作姿勢があって、素晴らしい劇を生み出しているからです。